宝石は古来から、その美しい輝きで人々を魅了し続けてきました。しかし、宝石の魅力は、その美しさだけではありません。
それぞれの宝石には、長い歴史の中で育まれた物語が秘められています。権力の象徴として、あるいは愛の証として、宝石は常に人々の生活と密接に関わってきました。
この記事では、そんな宝石にまつわる歴史的なエピソードを紐解き、宝石が持つロマンと魅力に迫ります。
ダイヤモンドの「コ・イ・ヌール」やサファイアの「セントエドワードサファイア」など、有名な宝石たちの知られざる物語を、ぜひお楽しみください。
目次[非表示]
- 1.宝石と歴史:普遍的な魅力
- 2.有名な宝石の歴史的エピソード
- 3.コ・イ・ヌール(Koh-i-Noor)
- 4.ホープダイヤモンド(Hope Diamond)
- 5.セントエドワードサファイア(St Edward's Sapphire)
- 6.ローガンサファイア(Logan Sapphire)
- 7.ティモールルビー(Timur Ruby)
- 8.カルメン・ルシア・ルビー(Carmen Lucia Ruby)
- 9.イラン王冠のエメラルド
- 10.デヴォンシャー公爵のエメラルド(The Duke of Devonshire Emerald)
- 11.ラ・ペレグリナ・パール(La Peregrina Pearl)
- 12.宝石の物語をより深く知るために
宝石と歴史:普遍的な魅力
宝石は古来から、権力、富、そして美の象徴として大切にされてきた歴史を持ちます。
古代エジプトでは、ラピスラズリやカーネリアンが装飾品として用いられ、王家の権威を示すために使用されました。また、古代ローマでは、宝石は幸運のお守りや魔除けとされ、戦場に赴く兵士たちが勇気を奮い立たせるために身に着けたといいます。
中世ヨーロッパでは、宝石はキリスト教の宗教的な意味合いを持つようになり、教会や聖職者の装飾品として、その輝きを放ちました。赤いルビーはキリストの血の色を、ブルーサファイアは天国を象徴するとされていました。
ルネサンス期に入ると、宝石は芸術品としての価値を高め、王侯貴族たちはこぞって美しい宝石をコレクションしました。特にダイヤモンドは、その希少性と輝きから、富や権力を象徴するものとして、王冠や宝飾品に装飾されました。
このように、宝石は歴史の中で、常に人々の生活と深く関わり、その輝きで時代を彩ってきました。宝石にまつわる物語は、単なる装飾品としての歴史ではなく、人間の欲望、愛、そして夢が織りなす壮大なドラマなのです。
有名な宝石の歴史的エピソード
次の項目では、世界的に有名な宝石と、それぞれにまつわる歴史的なエピソードをご紹介していきます。
宝石は魅力的な輝きだけでなく、長い歴史の中で育まれた物語によって、人々の心を捉えてきました。
以下でご紹介する宝石たちは、ほんの一例に過ぎませんが、それぞれの宝石には、数々のドラマが秘められています。
あなたにとって、宝石の世界への興味を深めるきっかけとなれば幸いです。
コ・イ・ヌール(Koh-i-Noor)
このダイヤモンドは、インドの王朝から王朝へと受け継がれ、数々の戦いの戦利品としてその所有者を変えてきました。ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハンは、このダイヤモンドを自身の王座を飾るために使用しました。
その後、コ・イ・ヌールはペルシャ、アフガニスタンを経て、19世紀にイギリス東インド会社によってイギリスへと渡ります。1849年にイギリスはパンジャーブを併合し、コ・イ・ヌールはヴィクトリア女王に献上されました。
ヴィクトリア女王はこのダイヤモンドを気に入り、ブローチとして身につけていました。その後、コ・イ・ヌールはカットされ、現在の105.6カラットのブリリアントカットダイヤモンドとなり、「エリザベス皇后(クイーンマザー)の王冠」に配されました。
コ・イ・ヌールは、その輝きとともに、数々の所有者の血と涙を吸ってきたダイヤモンドとしても知られています。インド、パキスタン、アフガニスタンなどの国々は、コ・イ・ヌールの返還を要求していますが、イギリス政府はこれを拒否しています。コ・イ・ヌールは現在も、その歴史的な背景と美しさで、世界中の人々を魅了し続けています。
ホープダイヤモンド(Hope Diamond)
ホープダイヤモンドは、世界最大のブルーダイヤモンドの一つであり、その神秘的な輝きと呪いの伝説で知られています。重さは45.52カラットで、濃い青色をしています。
このダイヤモンドの起源は、17世紀にインドのゴルコンダ鉱山で発見されたとされています。フランスの宝石商ジャン=バティスト・タヴェルニエによってフランスに持ち込まれ、ルイ14世に売却されました。ルイ14世は、このダイヤモンドをカットさせ、「フランスのブルー」と名付けました。
しかし、フランス革命の際に「フランスのブルー」は盗まれ、その後再カットされて姿を現しました。19世紀には、イギリスの銀行家ヘンリー・フィリップ・ホープがこのダイヤモンドを購入したことから、「ホープダイヤモンド」と呼ばれるようになりました。
ホープダイヤモンドには、所有者に不幸をもたらすという呪いの伝説があります。実際に、ホープダイヤモンドの所有者の中には、破産、事故、病気などに見舞われた人物が少なくありません。しかし、この呪いの伝説は、ホープダイヤモンドの価値を高めるための宣伝戦略であったという説もあります。
ホープダイヤモンドは現在、アメリカのスミソニアン博物館に展示されており、その姿を一目見ようと、世界中から多くの観光客が訪れています。その神秘的な輝きは、今もなお、人々の心を捉え続けています。
セントエドワードサファイア(St Edward's Sapphire)
セントエドワードサファイアは、イギリス王室が所有する歴史的なサファイアです。八角形のローズカットが施されたブルーサファイアは、中世のイングランド王、エドワード懺悔王の戴冠指輪にセットされていたと伝えられています。
エドワード懺悔王は敬虔なキリスト教信者で、ウェストミンスター寺院を建設しました。
セントエドワードサファイアは、エドワード懺悔王の死後、棺と共にウェストミンスター寺院に埋葬されました。1163年に墓から発見されると、指輪から外されて王室の宝物となりました。
その後、セントエドワードサファイアは、歴代のイングランド王の王冠を飾ってきました。英国の宮殿を管理する慈善団体「ヒストリック・ロイヤル・パレス」によると、現在、このサファイアは、イギリス王室の戴冠式で使用される大英帝国王冠のトップにある十字架にセットされています。
セントエドワードサファイアは、その美しい輝きとともに、イングランド王室の歴史と伝統を象徴する宝石として、大切にされています。
ローガンサファイア(Logan Sapphire)
ローガンサファイアは、ミックスクッションカットが施された、423カラットのスリランカ産で、カットされた世界最大のブルーサファイアのひとつです。
インドのマハラジャやボンベイの第3代準男爵が所有後、ロバート・グッゲンハイムが購入し、妻レベッカに贈りました。ロバートの死後、レベッカはジョン・A・ローガンと再婚したため、「ローガンサファイア」と呼ばれるようになりました。
ローガン夫人は、このサファイアを1960年にスミソニアン博物館に寄贈し、現在も同博物館の国立自然史博物館に展示されています。
ローガンサファイアの深く鮮やかなブルーの色合いは、まるで夜空のような輝き。紫外線を照射すると、赤味がかったオレンジ色の蛍光色を放ちます。
トータル約16カラットのダイヤモンドを周囲に配した、シルバーとゴールドのブローチにセッティングされています。
ローガンサファイアは、美しく希少なことから、世界で最も有名なサファイアの一つとして、高く評価されています。
ティモールルビー(Timur Ruby)
ティモールルビーは、その名前とは裏腹にルビーではなく、実際にはスピネルです。17世紀に中央アジアで発見され、東インド会社を通じてイギリスに渡りました。
長らくルビーとして信じられてきたティモールルビーは、シャー・ジャハーンをはじめとするムガル帝国の皇帝で所有されました。
その後占領によって何度か奪われるも、インドへと戻ります。1849年にイギリスがパンジャーブを併合し、後にヴィクトリア女王に贈られました。
1853年には英宝飾店「ガラード」により、ネックレスのセンターに配されます。このネックレスは、「コ・イ・ヌール」を代用のセンターピースとしてセッティングできるようにデザインされたそうです。
ティモールルビーの歴史は、宝石の誤認、王権の象徴、そして帝国の拡大といった、複雑な物語が秘められているのです。
カルメン・ルシア・ルビー(Carmen Lucia Ruby)
カルメン・ルシア・ルビーは、ファセットカットされた、23.10カラットという大きなサイズです。
1930年代、良質のルビーの産地として知られる、ビルマのモゴック地方で発見されました。
均一した赤色と素晴らしい透明度を持つことから、世界でも最も上質のビルマ産ルビーとして知られています。
トータル2.38カラットのダイヤモンドを配した、プラチナリングのセンターに配されています。
カルメン・ルシア・ルビーは、所有者であったビーター・バック博士がブラジル出身の妻カルメン・ルシアを偲び、2004年にスミソニアン博物館に寄贈。現在、国立自然史博物館に展示されています。
その美しい輝きとともに、宝石に対する情熱と、芸術への敬意を象徴する宝石として、多くの人々を魅了しています。
イラン王冠のエメラルド
イラン帝国のジュエリーコレクションには、数多くの素晴らしい宝石が収められていますが、その中でも特に有名なのが、王冠やティアラに配された巨大なエメラルドです。これらのエメラルドは、多くの場合、コロンビア産であり、イランの歴史の中で重要な役割を果たしてきました。
イラン帝国のジュエリーは、サファヴィー朝時代から収集・着用され始め、歴代の王によってそのコレクションが拡大されてきました。特にエメラルドは、王権の象徴として、王冠、宝剣、装飾品などに使用され、イランの歴史と文化を物語る貴重な遺産となっています。
1966年にはファラ・パフラヴィー皇后の戴冠式用の王冠を「ヴァン・クリーフ&アーペル」が制作します。
巨大なセンターピースを含む36個のエメラルドをはじめ、36個のルビーとスピネル、1469個のダイヤモンド、105個のパールを配した豪華な王冠でした。
現在、イラン帝国のジュエリーコレクションはテヘランのフェルドウスィー通りにある「イラン・イスラム共和国中央銀行」内の国宝宝庫で保管または展示されています。
イラン帝国のエメラルドは、その存在が広く知られており、宝石愛好家や歴史研究家にとって、憧れの的となっています。
デヴォンシャー公爵のエメラルド(The Duke of Devonshire Emerald)
このエメラルドは、1831年頃、ブラジルのペドロ皇帝からイギリスの第6代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュへと献上され、彼の名前が付けられました。
デヴォンシャーエメラルドは、未カットの状態であるため、エメラルドの原石が持つ自然な美しさを観察することができます。その結晶は、六角柱状をしており、エメラルド特有の緑色が鮮やかに輝いています。
現在は、ロンドンの自然史博物館に展示されており、その巨大さと美しさで、多くの人々を魅了するとともに、自然が生み出した驚異的な芸術作品として大切にされています。
ラ・ペレグリナ・パール(La Peregrina Pearl)
ジュエリーにセッティングするために穴が開けられると、重量は203.84グレインとなりました。
ラ・ペレグリナは、スペイン国王フェリペ2世に献上され、スペイン王室の宝物となりました。そしてイギリスのメアリー女王に贈られた後、スペイン、フランスを経て、1969年に俳優のリチャード・バートンが妻で女優のエリザベス・テイラーにプレゼントしました。
エリザベス・テイラーは、ラ・ペレグリナを自身のコレクションに加え、「カルティエ」と協力して、ダイヤモンドとルビーをあしらったネックレスに仕立てました。テイラーは、このネックレスを愛用し、数々の映画やイベントで身につけました。
2011年、エリザベス・テイラーの死後、ラ・ペレグリナはクリスティーズのオークションに出品され、1180万ドルという高値で落札されました。ラ・ペレグリナは、その美しさと歴史的な背景から、世界中の宝石愛好家にとって、憧れの的となっています。
宝石の物語をより深く知るために
最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
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