独特の世界観を築いたドアーズのジム・モリソン。

ジム・モリソンが大好きで、毎日のように「ドアーズ」のアルバムを聴きまくっていた時期があった。

ジムは1965年に結成したアメリカのロックバンド「ドアーズ」のヴォーカリスト。私はリアルタイムで彼らの音楽を聴いたわけではなかった。夢中になり始めた頃ジムはすでに天国に召され、バンドも解散していた。

1965年にカリフォルニアで結成したドアーズ。

ジム・モリソンは詩人だ。彼の歌詞はセクシーで幻想的。ステージで色っぽい仕草をしたり、音楽番組の生放送で放送禁止用語を発したりして、危険人物としてマークされていた。

そんな危うさとセクシーさが、当時の若い世代の心を掴んだのだ。

ジムをセックスシンボルとして決定づけたのが、フォトグラファー、ジョエル・ブロッキーが撮影した写真だ。上半身裸のジムがファインダーの奥にある「別世界」を見つめるような姿は、ロック史で語り継がれるアイコニックな写真となった。

ジョエル・ブロッキーが撮影したジム・モリソン。

1960年代後半のアメリカといえば、カウンターカルチャーの全盛期。サマー・オブ・ラブという社会現象が起こり、ヒッピー、サイケデリック、フラワーチルドレン、ウッドストックという文化が生まれた。

その時代を疾走したジムもサイケデリックの影響を受けたひとり。ドアーズというバンド名は思想家オルダス・ハクスリーによる幻覚体験の手記『知覚の扉(The Doors of Perception)』からのインスパイアだ。

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ドアーズのデビューアルバム『ハートに火を付けて(原題:The Doors)』は、のちにロック文学と表現されるほど、奥の深い作品であった。

収録曲はどれも素晴らしいのだけれど、私のお気に入りの楽曲は『水晶の舟(原題:Crystal Ship)』だ。

このタイトルから、どのようなシーンを想像するだろうか? 

私の頭に思い浮かんだのは、静かな湖畔に浮かぶ、氷のように冷ややかで透き通る舟だった。朝もやの中で太陽の光を反射し、今にも消えてしまいそうな幻想的で儚い姿である。

『水晶の舟』の歌詞は、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの『水晶の戸棚(原題:The Crystal Cabinet)』からのインスピレーションで、ジムが別れた最初の恋人に対する思いを綴ったと伝えられている。

楽曲にイントロはなく、ジムが囁きかけるような声でこう歌い出す。

「きみが無意識の中へ落ちてしまう前に、もう一度キスをさせてくれないか。」

この冒頭だけで一気に、扉の向こう側にある夢の世界へと導かれて行く。

そしてジムは、自身の中にある苦しみや孤独を切々と歌っていく。表面上はクリスタルのように輝くロックスターとしての道を歩み始めながらも、その心の中は壊れそうに儚いものなのだと。

水晶とは、無色透明の石英(クォーツ)のこと。美しいガラス光沢を見せるが、モース硬度が7と傷付きやすい。私はローズクォーツの結晶をタイルの床に落としてしまい、破壊してしまったことがある。

ジムは自分自身の内面を水晶の舟に反映しながら、歌詞を綴ったのではないのだろうか。そう思えてならない。

『LAウーマン』の時代には、髭を生やしていたジム・モリソン。

ドアーズに夢中になった私は、元ドラマーのジョン・デンズモア著の回顧録を読んだり、バンドの全アルバムを聴き尽くす生活を送った。

ジムは繊細な人物だったようで、バンドが成功するとともに私生活も荒れていった。

ジム・モリソンと恋人パメラ。

アルバム『LAウーマン』のレコーディングを終えると、ジムは恋人パメラとパリに移住。執筆に専念するためだったという。

パリで暮らし始めてからわずか数か月後、パメラがアパートに戻ると、ジムがバスルームで永遠の眠りについていた。

1971年7月3日。ジムは生まれたままの姿で水晶の舟に横たわり、天使に連れていかれたのだ。

「水晶の舟は満席だ。女の子たちで埋め尽くされ、スリルに満ちている。」(『水晶の舟』)

27歳でこの世を去ったジムは、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスに次いで、ロック界の「27クラブ」の仲間入りをした。

ジムは『水晶の舟』の最後に、こう歌っている。

「人生には何百万通りもの過ごし方がある。僕らが戻ってきたら、便りを送るよ。」

それから数年後、私はパリのペール・ラシェーズ墓地へと向かった。世界中から来たファンが、ジムに会いに来ていた。